2015年御翼9月号その2

『痛おもしろ結婚塾』―水谷 潔先生

  

人を利用しようとばかりするこの世に巻き込まれないためには、一般の価値基準よりも高い、聖書に基づいた価値基準を持つべきである。ジョン・C・マクスウェル牧師は、間違った方向に流されそうになる時、次のように問いかけることにしているという。
一. 何かを隠していないか。
 (イエス様の十字架によって赦していただくことを信じる。)
二. 誰かを傷つけていないか。
三. 他人から見たらどう見えるか。
四. 相手と直接話し合ったか。
五. 自分の子どもだったらどうしろと言うか。
ジョン・C・マクスウェル『「戦う自分」をつくる13の成功法則』(三笠書房)

 結婚においても、この世的な基準よりも高い価値観をもっていないと、「騙されて結婚した」などと、相手に利用されたり、世の風潮に流されたりする。より高い基準を聖書に基づいて持つべきことを、水谷 潔牧師が『痛おもしろ結婚塾』の中で述べている。なにが「痛おもしろい」かというと、「夫婦にありがちな『誤解、不可解、行き違い』については、笑いながら、その原因を受け止めて、異性である結婚相手への理解を深めていただければうれしく思います」とあとがきにある。一方、痛い要素は、「触れられたくない事柄、傷つく内容や表現があったかもしれませんが、自分側の課題に気づき、それを克服されることを願ってのことですので、どうかお赦しください」とある。つまり、夫婦関係の難しさは、主に異性理解の不足と、自分の課題が自覚できていないことの二つに原因があるというのだ。
 例えば、自分の幸せを第一目標として結婚生活を送るなら、結婚相手は「私を幸せにするための存在」となる。そうなるとどうしても自己中心的発想になり、相手にそれと異なる言動があれば、「あなたは私を幸せにしてくれない」と怒りや失望が生じる。今風の表現で言えば、「顧客満足度発想」で相手を測り、評価をしてしまうのだ。そもそも人格的な愛情関係である結婚に、非人格的な利害関係である「顧客満足度」を持ち込むこと自体が間違いであり、結婚関係を悪化させてしまう。
 神の栄光(真理)を第一に結婚するなら、結婚相手は「共に神様の栄光を現すパートナー」となる。そうなれば、自分の意識も神中心の発想となる。相手に自分の幸せに反する言動があったとしても、自分の幸せより神の栄光をより大切なものとして位置づけるなら、かなり寛容になれるものなのだ。多少傷つく言葉やむかつく言動も、自分にとっては問題であるが、神の栄光にとっては大した問題ではないと思えば、それほど感情的にならずに済む(神の栄光=キリストの贖いによって神の子とされて祝されること)。
 自分の幸せを第一目的とする結婚は、結婚関係を悪化させやすく、結果的に幸せになりにくい。逆に、神様の栄光を第一目的とする結婚は、夫婦関係を良いものにし、結果として幸せになりやすいようである。このことを対比して図示すると、以下のようになる。

  •  目的―「自分の幸せのための結婚」vs「神の栄光のための結婚」
  •  基本発想―「自分中心」vs「神中心」
  •  結婚相手―「自分を幸せにすべき存在」vs「共に神の栄光を現すためのパートナー」
  •  相手の不快な言動―「目的違反ゆえの不満、怒り、失望」vs「同志ゆえの寛容、忍耐、希望」
  •  夫婦関係の展望―「感情的反目による問題の継続」vs「目的共有による発展、成長」
  •  結婚生活幸福度―「低くなりがち」vs「高くなっていく」

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」コリント第一10:31節 以上、水谷 潔『痛おもしろ結婚塾』(いのちのことば社)より

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